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摂食障害の家族を持った私に必要だったこと

重い病気を抱えられている方は、家族ぐるみで大変な苦労されていると思います。私は大切な家族が摂食障害を患い、8年間支えてきました。

それはとても穏やかなことではなく、特に最初の2年間は、拒食と過食、家出やリストカット、ODによって入退院を繰り返し、私も会社を辞めるなど壮絶な日々をくぐってきました。現在では、病気こそ完治していませんが、穏やかに生活することができています。

そんな私がここまでやってくるのに必要だったと思うことを書こうと思います。

プライバシーのこともあるため、全てをここに書くことはできませんので、所々ぼかしながらですがご了承ください。

この記事で扱うこと

  • 家族の視点での病気の見え方
  • 家族としての私の考え
  • 私の経験を通じた、家族の心の安定に必要だと思うこと

この記事で扱わないこと

  • 病気そのものの治療方法
  • 各種行政サービスの受け方
  • 本人の気持ち
  • 病気の原因

おことわり

私は医療関係者でも、カウンセラー等の資格保持者でもありません。私の書いたことは全て医療的に裏付けがあることではなく、ただ一つの経験に基づくことです。そのためこの記事の内容が、全ての人に当てはまらないかもしれないこと、この通りにした結果についていかなる責任を取ることもできないこと、予めご理解ください。

摂食障害とは

Wikipediaによると、

摂食障害(せっしょくしょうがい、英: Eating disorder ; ED)は、食行動の重篤な障害を呈する精神疾患の一種である[1]。近年では嚥下障害等の機能的な摂食障害との区別をつけるため、中枢性摂食異常症とも呼ばれる。厚生労働省の難治性疾患(難病)に指定されている。
摂食障害 - Wikipedia

摂食障害って最近難病に指定されていたんですね。確かに何十年も闘病されている方も多くいらっしゃるようですし、家庭が崩壊寸前になったり栄養状態などで後遺症を残す場合もありますので、とても怖い病気です。

後で書きますが、家族会のような集まりがあり、そちらでお会いする話を伺うと、みんな相当長い期間、家族ぐるみでこの病気と付き合っていることがわかります。摂食障害は家族を巻き込む病気です。

では、家族の視点ではどのように映るでしょうか。代表として私の感じたことを書かせていただきます。

家族の心境

1.本人の気持ちがわからない

「食べなさい」と言っても絶対に「食べない」
「太ってないよ」と言っても「痩せたい」

食事や体重の話をすると、いつも平行線、絶対に分かりあうことはできません。だからと言って、本人が言っていることを肯定すると、ますます痩せるんじゃないかと不安になります。

2.周囲に理解してもらえない

摂食障害の家族を支えることは、子育て、または老人介護と同じように、大変なことだと思います。そして、子育てや介護の辛さは世間的に認知されているのに、私たちの苦労を知る人は殆どいないです。

私も会社を遅刻早退したり、何日も休んだり、飲み会に参加出来ない時期が続きました。小さい子供でもないのに、そんな過保護ではないかと、思われていると思います。説明すればわかるとしても、家庭の生々しい話を打ち明けることはとてもつらいことです。

3.私たちの人生はどうなってしまうのか

子育ては子供が育って大人になることで終わります。しかしこの病気は今後どうなるか、本当にわかりません。病院に行っても、こうすれば治るというセオリーはまだ確立されていません。

そして、家族の人生が大きく狂わせます。出世や昇進、事業、なにか人生の大きなことを諦めざるをえなくなります。

ふと、私達は今後どうなってしまうのか、と考えてしまうことがあります。出口が見えない真っ暗なトンネルです。

ここまで書くと大変暗い話ですが、今は、完治こそしていませんが大分マシに暮らしています。一体、どのようにこれらの悩みを乗り越えていったのかを、次に書いていきます。

家族として私に必要だった3つのこと

1.病院につながる

なんだかんだ言って、病院とは繋がっていて良かったです。

病院が重要な2つの理由

  • 定期的に検査を受けること
  • 緊急時の最後の砦として頼ること

うちは救急車騒ぎを2回起こしました。1回目はかかりつけの病院がなかったため、救急車の中で何時間も受け入れ先の病院を探しました。かかりつけの病院があるとスムーズで、優先的にその病院に運ばれます。大ごとを起こす前に、主治医に相談することができます。

検査を受けることは家族の精神的安定に繋がります。日常のこととして、特殊な食生活を側から見ていると家族としても心配です。検査を受けていれば完璧というわけではありませんが、大分気持ちが楽です。

そこが総合病院の場合は、検査でおかしな数値がでた場合、他科でもカルテが共有され、スムーズに診療を受けることができます。特殊な病気なので、町のお医者さんだと診てくれなかったりするので、総合病院につながっておくことがおすすめです。

医者選びは結局、本人と医師の相性もあるので、本人の意向、通院しやすさ、検査や入院の設備などから判断して、決めるのが良いと思います。

2.家族の集まりに参加する

前述の「わからない」「わかってもらえない」が解決します。

私は NABA という自助グループの中の「やどかり」という家族の会の会合に数回参加しました。そこで聞いたことはプライバシー保護のため書くことはできませんが、一言で言うと

「私が思っていたことを、私が言う前にこの人たちは言ってくれる!」

です。誰も理解してくれないと思っていたことが、ここでは普通のことなのです。長年孤立していた私としては、それは不思議な国に迷い込んだようでした。何も具体的には変わらなくても、気持ちがとても楽になりました。

3.今問題ないなら、それでいいと思う

厄介な病気も長期間付き合っているとだんだん慣れて、相変わらず変な食生活をしていますが、なんとか生活が回ってきたりします。

でも、そんな時、ふと「私たちは変なことをしてるんじゃないか?世間から笑われているんじゃないか?」と、自分を責めたくなったりします。

そんなこと考えるのはやめましょう。

今までの私の経験上、ちょっと落ち着いた時に何か変えようとすると、関係を悪化させたりしました。

結局病気と闘っているのは本人です。周囲にできることは見守ることです。今、危機的状況でないのなら、その中で幸せを一つでも見つけるのが正解だと思います。

最後に

この記事を書くべきかどうか、大変悩みました。この記事を書いたきっかけは、最近ある友人の結婚披露宴に参列し家族のすばらしさ、ありがたさを感じました。私も素晴らしく、ありがたい、大切な家族を持っています。

すみません、自慢です。(^o^)/

もし、この記事を世界の誰かが読んで、ほんの少しでもその人の気持ちを楽にすることができたなら書いてよかったと思います。